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遭 難 の 記


(ヤマメ・イワナ・渓流LOVE★)





 平成23年7月連休の最終日。
 実は、奥多摩で「遭難」した。

 場所は、唐松谷の下流部(日原本谷との出会いまで滝をあといくつ・・・・という辺り)だと思うが、正確には分からない。

 17時過ぎに、“なぜか”道に迷い、沢すじを下っているうちに日が暮れてしまった。
 19時過ぎまでは、ヘッドランプでなんとか行動できたが、20時になると闇がおとずれた。
 そして目の前には、結構な規模の滝。
 これを“よじ降りて”先へ進むことは、暗闇の中、自殺行為に等しい・・・・。
 「明るくなれば、帰れる」
 僕は、がれきと落ち葉の中で、一晩を明かすことに決めた。
(デジカメの電池が切れてしまい、まさに遭難している最中に撮れた写真はこの2枚だけ・・)

 その日、僕は日原林道にクルマをとめて、朝6時過ぎに日原本谷へ入り、ほどほどにヤマメと戯れつつ、日原川支流の「巳の戸沢」(※平成20年6月1日発行の2.5万図「武蔵日原」に記載される名称)を登りつめて、 源頭部まで遡行。
 最後は汗だくになって藪をこぎ、古い登山道(鷹ノ巣山へ続く)にたどりついた。

 14時。避難小屋付近の水場で休息し、3本のペットボトルに湧水を補給する。
 そこから、日陰名栗山、高丸山、七ツ石山を経て、唐松谷へ下り、谷ぞいの山道を歩いて、日原林道へ戻る。
 19時には車止めにたどり着けるだろう・・・・。
 それが、この日の計画だった。
 (※ちなみに、日陰名栗山、高丸山には、ほぼ平坦な巻き道があるので、各ピークを踏まなくても帰れる)。



 19時にはクルマにたどり着くはずが、結局、たどり着いたのは、翌朝の9時過ぎになってしまった。
 予定よりも14時間余分にかかったことになる。

 救助を要請せずに、自力で生還できたのは、結果に過ぎない。
 (もっとも、救助を呼ぼうにもケータイの電波の届く領域ではなかったが)。

 そう、あれは確かに「遭難」だった。
 怪我ひとつせずに下山できたのは、ひとえに運が良かったからに過ぎない。
 人の通らない山中で、うっかり足首を捻ろうものなら、わずか数メートルでも滑落しようものなら、コンロで沸かした湯でやけどでもしようものなら・・・・
 どうなっていたか、分らない。



 20時30分。
 沢で一晩を明かすことを決意した。
 天候は曇りで、空を見上げても星も月も見えない。

 食糧は、この時点で、レトルトのスープカレー、ポタージュスープ、インスタントのコーヒー、ティーパックのお茶を残していた。
 (ここまでに、おにぎり3ヶ、カロリーメイトを消費)。
 水は、まあ、沢の水を飲めばなんとかなる。

 ビバークを決意するのが少し遅かったと思うのは、17時の時点で、沢を泳いでしまっており、全身がずぶぬれだったこと。
 全身、吸湿速乾性の衣装でかためてはいる。
 しかし、ここまでの疲労も加わると、夜中に寒さで死ぬかな、と本気で思った。

 不思議と、怖いという感じはしなかった。
 ザックの中に忍ばせていたサバイバルシート(災害時などに役立つ薄い銀紙のようなやつ)が役に立った。
 これを背中から羽織り、下半身にはレジャーシートを巻きつけ、ぼんやりと「死ぬのかな。いろんな人に申し訳ないな」と考えていた。
 (※あとから考えると、そう簡単に死なない気もするが、このときは弱気になっており、生まれて初めて、自分が消えて無くなる可能性を、リアルに考えた)。



 21時。
 急に、「だめだ、じっとしていたら、だめだ。死なないように、できる限りやらなければだめだ」と、僕はつぶやいて動き出した。

 活動のためにサバイバルシートを脱ぐと、水滴混じりの風が全身を襲う。
 寒い。
 僕は、周辺にあった枯れ枝(といっても、多くは湿っている)を集め、ガスコンロであぶって火を起こすことを思いついた。
 たまたま、釣り人が残して行った壊れた渓流竿が落ちていた。
 それをぼんやり見ていると、これは“ふいご”になる!と閃いた。
 “ふいご”を使って、ガスコンロに空気を送り込んだ。
 太くて乾燥した木が、まるで木炭のように燃えだしたので、それを火種にして、そこそこ立派な焚き火を起こすことができた。
 (折れてしまった釣り竿をフィールドに捨てて行くとは、とんだ釣り人がいたものだが、自分の釣り竿をばらして“ふいご”にする発想は、さすがに出なかったと思う)。
 焚き火で湯を沸かし、コーヒーを入れて人心地つく。
 人間、火があると自然と勇気がわくから不思議。



 23時。
 小雨が降る中、レインコートを着込み、さらに銀色の薄いサバイバルシートを頭からかぶり、その上に傘をさして、しのぐ。
 焚き火の効果もあり、寒いという感じはあまりしない。
 岩かげでザックを枕に、レジャーシート、スタッフバッグなども総動員して、寒さをしのぎ、うつら、うつらと眠りながら、翌2時くらいまで。
 ただ、岩肌から冷気が伝わってくる。その都度、はっと目が覚める。生きている証拠。



 日付が変わって、2時。
 火の番を怠り、寝ているうちに、焚き火は消えてしまい、それっきり二度目はうまくいかなかった。
 谷すじで樹木が生い茂っているため感じにくいが、意外と雨が強くなってきていたと思う。
 持っていた二枚の地形図の使わない部分をそれぞれ半分破いて火種にし、他にティシュなども全部燃やしたが、 もはや周囲に乾いた枝もなく、紙が燃え尽きると、それ以上どうやっても火は起きなかった。
 イワタニ・プリムスのガスボンベもやがて空に近い状態になり、再び焚き火を起こすことは断念した。
 ただ、焚き火の後の丸い石っころが、ほどよく焼けて温まり、これを“湯たんぽ”代わりにして、お腹の中に入れて寝ると、大変気持ちが良かった。
 ぽかぽかは、朝4時に活動を開始するまで続いた。



 4時。
 天候のせいもあり、谷すじの夜はなかなか明けないが、じっとしていられず、ゆるゆると活動を開始する。
 まず、最後に残しておいたレトルトのスープカレーをむさぼり喰う。
 すでにガスは使い果たしているので、人肌と、石っころの湯たんぽに押しつけて温めたレトルトカレー。しかし、これがうまかった!
 食べ終わると、電池を温存しておいたヘッドランプをつけて行動開始。
 少し明るくなると、目の前の滝は、とてもじゃないが“よじ降りる”ことのできるシロモノではないことがわかる。

 それと、雨が激しくなり、心なしか増水しているようだった。
 川を対岸へ渡れるか心配になるが、どうにか渡って、崖にとりつく。
 ここを脱出するには、少々きつくても左岸の斜面をよじ登るしかない。
 幸い、斜面は急でも、植物の根や岩が天然の階段を構成しており、どうにか取りつくことができた。
 急な斜面を少し登ると、残置鉄線があり、ルートを示してあるようで、「ここを登った釣り人がきっといる」と思えたことが勇気になった。
 (実際には、今回のような緊急避難の場合でなければ、あり得ない苦行の道であった)
 よじ登るうちに、夜が明けた。



 6時。
 谷を脱出し、細い道に出る。
 これは、後で考えると、唐松谷にそって作られた山道(つまり、当初の計画通りの道)だった。
 しかし、このとき僕は、ある錯覚をしていた。
 すなわち、「自分はいつのまにか唐松谷を通り過ぎて、日原本谷にいる」という妄想である。
 昨晩ビバークした場所自体、唐松谷ではなく、日原本谷だと思っていたのである。
 なぜ、そのような間違った認識を持つに至ったかというと、@昨日の夕方に、かなりの距離、唐松谷を下ったという体感があった。 A唐松谷・日原本谷出会いの吊り橋を、見逃しているのだと勝手に解釈してしまった。B昨日の夕方に、高く捲いて突破した巨大な滝を、日原川にあるものと思い込んでしまった。

 冷静に地形図を見れば(あるいは、コンパスで自分が向いている方向さえ確認していれば)あり得ないミスだが、心理的に余裕がないときというのは、こうしたものなのだろう。
 おかげで、僕はようやく発見した山道が、実は“正解”であることに気づかず、それをスルーして、さらに崖を登って上を目指すことになった。
 日原本谷を脱出して、左岸を登ったのであれば、当然、日原林道(クルマも走れる)に出るはずだ・・・・あと少し、登ろう、と。
 (少なくとも登っている限り、いつかは、どこかの道に出る。その前に力尽きなければ、だが)。



 7時。
 視界が開け、尾根らしき場所に出る。
 ????????
 なんで、尾根?

 案内板らしき人工物があるので、すがるようにたどりつくと、なんと「富田新道」とあるではないか。
 これでようやく、自分の居場所が本当につかめた。
 やはり、ビバーク地点は日原本谷ではなく、まだ唐松谷の中にいたのだ。

 あとは、登山道に従って、富田新道(野陣尾根)とは反対側の「唐松谷を経て日原へ」のルートをたどるだけ。
 しかし、疲れた身には、この下りがきつい!
 そして、雨が本格的になり(なんせ大型の台風6号が接近している)、最後までだれにも会わないまま、朝8時過ぎに、日原林道にようやくたどり着いた。
 ここまで怪我ひとつしていないことが奇跡のように感じられた。


 8時過ぎ。
 日原林道をてくてく歩く。
 沢の水をがぶがぶ飲みながら歩く。
 途中、大きく道が崩落している箇所があり、工事の監督さんと、警備員の女性に出会う。
 監督さんは、こんな時間に、僕が突然「山側から」現れたので、目を丸くしていた。
 こっちも、久しぶりに人間を見た、というのが正直な感触であった。



 9時半。
 ようやくクルマ止めに置いてあるマイカーにたどり着いた。
 特徴のある赤いクルマがずっと停まっているので、不審に思った工事関係者等が、通報してえらい騒ぎになっていたらどうしよう・・・・
 そんなことを考えたが、幸い(?)何事もなかったかのように、わが赤いジムニーはひっそりと主の還りを待っていた。
 (逆にいうと、仮に戻れなくても、だれも通報しない以上、そう簡単に救助は出動しないということである)。


 以下、二度と同じ過ちを犯さないための自戒と、万が一、これを読んでいるあなたが、似たような状況に陥った場合に、 わずかでも参考になればよいとの観点から、とりとめもなく思いついたことを記載してみよう。

○季節の問題: 7月の連休だったから良かったものの、これが仮に3月の解禁直後の渓であったならば、確実に凍え死んでいたと思われる。

○沢での焚き火: マッチ、百円ライターは持っていてもこれだけでは焚き火の役には立たない。雨の沢で、自分が動き回れる範囲に、乾いた倒木などは存在しないのである。比較的ましな木を集めておいて、強力なコンロで一気に焚きつける以外に、雨の降る沢で焚き火を起こす術はないと思っていい。ライターは、コンロの着火装置が壊れたとき用の予備として使う程度である。
 それと、本文にも記載したが、渓流竿の一番太いパーツは、いざというときに、焚き火にエアを送り込むふいごになる。

○沢の水: 唐松谷の水をがぶがぶ飲んだ。脱水症状だけは起こさないように、意図的に量を飲んだが、特に腹を下すなどの問題は起きなかった。もちろん、沸騰させて飲むのがセオリーなのはいうまでもない。

○やばい心理状態: 沢でだんだん暗くなって来たのに、脱出できる見込みが立たず、疲れきってしまい、どうにか滝を乗り越えたところで、また次の滝が姿を現したとき・・・・歩き方が雑になり、「あの滝、一気にすべり落ちたら楽だろうな」という、変な“逃げの気持ち”になっていたことがあり、(冷静に考えると、一気にすべり落ちていいわけないのだが)とても危険な心理状態であった。

○サバイバルシート: ホームセンターで300円くらいで買ったシートだが、これが今回の無事生還の最大の功労者で、これがなかったら、さすがに凍えていたかも・・・・仮に凍死はないとしても、消耗しすぎて翌朝行動不能になっていたかもしれない。また、そもそも夜になって、「朝までビバークすれば、なんとか帰れるだろう」という判断をした前提として、「シートを持っているからビバークはできる」という安心感があったことは間違いない。
 ちなみに、この日はツェルトを持っていなかったのであるが、もし持っていたら、普通に快適な野営ができたと思われる。(心情的にはともかくとして)

○これ持ってて助かった: @サバイバルシート、Aガスコンロ、Bヘッドランプ、C軽量の折りたたみ傘、D地形図。

○これ持ってれば、もうちょっと助かった: @ツェルト、Aコンパス、B着火剤・新聞紙、C予備の電池、D非常用の食糧をもっとたくさん。

○これのおかげで多分助かった: 前々日まで「福岡・博多食い倒れ旅行」をやっており、二日間で体重が増えるほど、当地のうまいもの(イカの生け作り、石鯛の刺身、もつ鍋、とんこつラーメン、餃子、焼きトンetc・・)を食べまくっており、スタミナ十分だったこと。釣行の前に、牛丼屋で特盛りを食べておいたこと。普段から友人たちとのキャンプを通じて、火のおこし方、野外での暖のとりかたをある程度習得していたこと、寝ようと思えばどこでも寝れる図太さを備えていたこと。

○半分燃やした地形図2枚: 記念に(というか、今回の件を忘れないように)、濡れていたが、持ちかえって丁寧に乾かし、つなぎ合わせて、今でも使ってます。

〇遭難したとき、ヤマメやイワナを釣って食べようとは思わなかったか?: 思わなかった。自分自身が、生か?死か?というときには、釣り糸をたらす余裕なんてなかった。それよりも、早く谷を脱出したかった。

○帰還した後どうしたか?: 仕事に行った。たまたま午前中は来客・打ち合せ等の予定がなかったので、急きょ、午前中だけ「有給」にしてもらい、(10時に職場に電話して、「実は遭難して、いま山から降りて来たので」と言ったら、事務員さんにえらく怒られた。もちろん自分が悪いので当然だが)12時に家に帰ってシャワーを浴びて、午後から出勤した。はっきり言って、仕事がなければ、奥多摩の交番で救急車を呼んでもらって、運ばれてしまえば楽だろうな・・・と何度も思った。どこも怪我はしていなかったのであるが疲労困ぱいだったので。

○後日談その1: 長そでを着ていたが、生還して二日目ぐらいから、両腕がものすごいこと(全面虫さされの最凶悪版)になってしまった。キンカンではまったく治らないので、皮膚科に行き、ステロイドの薬を塗ってもらったが、きれいになるのに2週間もかかった。山ダニの仕業か分からないが、死ななかったことを思えば、これぐらいはやむを得ない。

○後日談その2: 大学時代のS先輩と後日居酒屋で酒を飲みながら、この件について話し、いずれ余裕のあるときに、「検証隊」を組織して、正確な遭難地点や、なぜ今回のような事態に至ったのかをきちんと考えてみるのも良かろう・・という話になった。
 しかし、なんとなくイヤな感じがするのは、あのビバーク地点に“たまたま”落ちていた渓流竿の存在である。「まともな釣り人であれば、壊れた竿を、現場に丸ごと一本捨てて行くはずがない」とはSさんの言であるが、まさにその通りで、実は、僕が気付いていないだけで、ビバークした現場付近に、相当以前に遭難して、すっかり腐敗して土に戻った先人の遺体があったのに、僕が気付かなかっただけ・・・だったりは、まさか、しないだろうなあ。







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